意外と知らない”日本茶の歴史”とお茶ができるまでの”プロセス” 意外と知らない”日本茶の歴史”とお茶ができるまでの”プロセス”
古くからある日本茶は、繊細な茶葉の香りと味わいがたまらない日本ならではの飲み物です。
意外と知られていない日本茶の歴史と、お茶ができるまでの歴史をご紹介。
お茶は、日本が中国の進んだ制度や文化を学び、取り入れようとしていた奈良・平安時代に、遣唐使や留学僧によってもたらされたと推定されます。
日本の臨済宗(禅宗の一派)の開祖である栄西(ようさい/えいさい、1141-1215)は、二度、宋に渡って禅宗を学び、禅院で飲茶が盛んに行われているのを体験しました。
栄西は日本初の茶の専門書「喫茶養生記」を著し、お茶の効能を説きました。
この当時のお茶は抹茶に近いお茶であり、現在のような煎茶が普及することとなったのは江戸時代になります。
1738年、宇治田原郷の永谷宗円(ながたにそうえん)は、製茶方法を丁寧な方法に改めて、優良な煎茶の製法を編み出し、煎茶の祖とよばれています。
摘んだ茶葉を蒸した後に釜炒りし、和紙を貼った焙炉上で茶葉を揉みながら乾燥させるという工程を経て出来上がるお茶が煎茶の始まりとなっています。
1835年には、山本嘉兵衛によって「玉露」が開発されました。
このあと、積極的にお茶の生産が行われるようになったのです。
宇治郷小倉の木下家で、茶葉を露のように丸く焙ったのが玉露の原型といわれています。
別の説では、碾茶の新芽から「甘露の味がする」と評されたと言われています。
このようなことから、玉露独特の旨みが玉の露のようだからとも言われています。
茶畑で摘み取った後、茶工場へ運ばれ、数多くの工程を経て、お茶が完成します。
大きく分けると、(1)「荒茶製造工程」と(2)「仕上げ製造工程」があります。
摘採は、茶樹の栽培における最終作業であり、摘採の適否や巧拙は、生葉の収量とお茶の品質に直接影響するので、もっとも注意を要する作業です。
■送風、加湿、葉熱、冷却、乾燥などの工程
摘み取り後にすぐに産地にて「荒茶」といわれる下準備のような加工に入ります。
茶畑から集められた茶は給葉機によって自動的に蒸機へ送られ蒸気で蒸します。
その後、冷却機によって水分を取り除きながら茶葉を冷やしていきます。
茶の葉を再び揉みながらさらに熱風を当てます、その後揉捻機で茶の葉に力を加えて水分の均一をはかりながら揉みます。
揉みあげた茶を更に念入りに乾燥させます。
■仕上げ製造工程について
お茶の種類や製造メーカーによっても、工程が変わります。
仕上げ加工とは、火入れ乾燥、ふるい分け、切断による整形、風力や電気的感応による選別などの工程によって分類されており、消費地の嗜好や販売価格によって調整配合を行うものです。
貯蔵に耐え、同時に香味を消費地の嗜好に適合するように整え、外観・内容ともに製品価値が上げられます。
荒茶は形が不揃いで、しかも水分含有量が多いために変質しやすく、そのためまだ製品としての価値をもちません。したがって、荒茶を製品として完成させるために、仕上げ加工を行います。
茶葉の含水率が3~5%になるまで乾燥させると同時に、独特のお茶の香りや味を引き出していきます。
また、木茎や細い茎を取り除きます。
収穫後、蒸し工程、冷却工程、乾燥工程、仕上げ工程を経て、お茶が完成します。
丁寧な加工が美味しいお茶につながっています。