二、林家木久扇師匠の「出がらし茶葉の思い出」 二、林家木久扇師匠の「出がらし茶葉の思い出」
今月のお話は、木久扇師匠の師匠にまつわる思い出です。
私が始めに弟子入りした三代目・桂三木助はお茶が大好きだった。
今から六十年前の、昭和三十五年頃のことだ。
師匠は朝、洗顔を済ませてから奥の八畳間でお茶を飲むのが日課。
ご贔屓から贈られた八女茶(やめちゃ)※を、
それは美味しそうに目を細めてすする。
そばに必ず梅干しと白砂糖の小皿がそばに置いてあった。
※福岡県で生産される日本茶。
お茶にうるさい師匠は、お茶の淹れ方にもこだわりがあった。
一煎目を飲んだら急須のフタをずらし、中の熱を冷ましておく。
こうすると茶葉が蒸れず、二煎目も美味しく飲めるのだ。
二煎目を楽しんだ後の急須はおさがりとなり、三煎目はおかみさんと子供たちが飲み、
その後は弟子たちに回ってくる。
私には木久八(九代目・入船亭扇橋)、木久造(二代目・春風亭華柳)、
木久弥(二代目・柳家小はん)と三人の兄弟子がいたから、
おさがりの急須が私に回ってくる時には、味はすっかり抜けてただの茶色のお湯だ。
急須を片付けるのは私の役目だが、この八女茶の出がらしは捨てない。
前から溜めておいた出がらしに足し、ザルに広げて天日で干す。
すると蒸れて広がりきった茶葉は、乾いて元のよじれた葉の形に戻るのだ。
それを今度は大きなヤカンに移し、たくさん水を足してガスで沸かす。
ヤカンが煮えるとどうだろう、再び水色(すいしょく)は緑色となり、
どう見たってお茶である。
これを冷蔵庫で冷やしてオヤツの時にいただく。
味は抜けたままで緑色の冷水なのだが、ただの水よりマシだった。
まだ新人でお金がなく、稽古に明け暮れていた若い時分のお茶修行である。
林家木久扇(はやしや・きくおう)
1937年生まれの落語家、漫画家、画家、YouTuber。
漫画家を経て1960年に落語界入り。
1969年には日本テレビ「笑点」のレギュラーメンバー入り。
1973年に真打ちに昇進し、
2007年には落語界史上初の親子W襲名により「林家木久扇」となる。
時代に呼応した新鮮な話芸をもち、アート、ラーメン、絵画、歌、役者、エッセイなど、下町の粋を伝えるマルチな落語家としてお茶の間に人気。
2020年には念願のYouTuberデビュー。
HIKAKINに師事してKIKUKIN名義でチャンネルを開設。
そして同年8月には芸能生活60周年を迎えた。